次の日から二日、私は仕事が休み。
気分がどっぷり沈んでいるところだったので、ちょうどよかった。
彼は今日も変わらず、図書館で調べものだろうか。
「ま、私には関係ないし」

『おまえには関係ない』

きんと冷えた、あの言動。
思い出すだけで心の温度が奪われる。
「怖かった……」
身がすくんだ。
ただの一言で。
まだたったの三日分しか彼を知らないのに、いちいち感情が騒ぐ。
「たったの三日じゃない」
出逢ったときから威圧的なあの態度。
思い返しているうちにちょっとずつ腹が立ってきて、そしてじわじわと体温が戻る。
「……よし」
ぱっと勢いをつけて立ち上がる。
いじいじしていたら、せっかくの休日がもったいない。
お気に入りの服に着替えて、友達に電話して、映画でも観に行こう。
それからおいしいご飯を食べて、愚痴って。
彼のことなんか、綺麗さっぱり忘れよう。





ここ最近通っている図書館に、俺はまた出掛けていた。
調べても調べても、満足のいく答えが見つからない。
普段住んでいる家を離れ、こんな辺鄙なフォルトゥナくんだりまで来ている以上、せめて少しだけでも手掛かりを得てから帰りたかった。
──焦っている。
司書に……親切にしてくれる彼女に、苛ついて当たってしまう程。
(謝罪すべきだな)
互いに気まずくなったままでは、何となしに通いにくい。
朝一で謝ればいいと思ったが、開館とほぼ同時に向かったカウンターにはいつもの彼女の姿がない。
「御用ですか?」
カウンターの奥を覗こうとしたら、違う女が声を掛けてきた。
……勤務時間が違うのか、それとも彼女は今日はいないのかもしれない。
「資料室を使いたい」
仕方なく切り出すと、女が目を丸くした。
「……?」
瞬きして、横の男の職員の肩を叩く。
「資料室って、一般に解放してるっけ?」
「確かしてるよ。手続きが必要なはずだけど」
「書類とかあるのかな?……あー、すいません、ちょっと待ってて下さいねー」
二人がへらへらと愛想笑いを浮かべる。
どれだけ時間を無駄にされるか分かったものではない。
俺は溜め息をついた。
彼女がいたなら、こんなことにはならないのに。
何を頼もうと、打てば響く早さで対応してくれた。
改めて、何気無い彼女の様子を思い出し──

謝罪しなければ。

ちくりと刺すような痛みと彼女に謝りたい想いは、深まる一方だった。





二日の休みを有効に使ってリラックスし、私はまた新しい一週間を迎えた。
普段通りに同僚に挨拶し、カウンターに着く。
机の整理をして、パソコンを立ち上げたところで時計が九時を指す。
開館時間だ。

ここ数日ですっかり耳に馴染んだ声が頭上に降ってきた。
「おはようございます、バージルさん。今日も資料室をお使いですか?」
無表情で挨拶をして、私は彼からの返事を待たずに許可証を揃える。
「……ああ」
「ではどうぞ」
いつも通りに彼が記入していくのを待つ。
ふと、彼が手を止めた。
顔を上げて私を見る。
「この二日、休みだったのか?」
「え」
意外な問い掛けに驚いてしまって、不覚にも無表情をあっさりと崩してしまった。
やはり彼は毎日ここに通っていたのかということと、私がいないことに気づいていたのかという二つの思いがぐるぐる回る。
……でも、それが何。
努めて無心を装う。
「そうですけど」
つんと答えれば、彼も何故か眉を顰めた。
「おまえがいない間、酷い目にあった」
彼の言葉に、私が休みの日に代わりにカウンターに入っている子を思い出し、ちょっとだけ彼に同情してみる。
だけど、それにしたって大袈裟な。
「私には関係ありませんから」
刺々しく突っ返す。
今日はやけに話し掛けてくるけれど。
彼がふうと溜め息を零した。
私は彼の手元を覗く。
「記入、終わりましたか?」
「この前のことは謝る」
……え?
完璧に想定していなかった言葉に、私は思わずぽかんと彼を見上げてしまった。
彼がふと視線を逸らした。
「流石にあの言い方はなかった、と、思う……」
…………え?
開いた口が塞がらない。
「何か言え」
彼が再び溜め息をついた。
「……あ、ああ……」
何か言えと言われても。
あまりに驚きすぎてしまって、咄嗟に返す言葉が見つからない。
ごちゃごちゃとボキャブラリーをひっくり返して、やっとのことで口を開く。
「その……私こそ。プライバシーに関わることを聞いちゃったんですよね。ごめんなさい」
結局、私の方がはっきり謝ったような形になってしまった。
「いや。ただ、あまり軽々しく口にできる調べ物でもないしな」
彼がちいさく苦笑した。
初めて見せるそんな顔にうっかり見惚れてしまって、私はハッと我に返る。
どうも、彼のペースに振り回されてしまうらしい。
こほんと咳払いで落ち着かせる。
「書類、済みました?」
「ああ」
紙を受け取り、いつもと同じように記入漏れがないか確かめる。
OKですと言おうとしたら、彼としっかり目が合った。
二日の休みの間、思い出したくなかった、だけどどうしても思い描いてしまっていた彼の青い瞳。
「……今日から五日は私がいますから」
「助かる」
彼が微笑った。



資料室に彼を通して、そして書棚の鍵を外す。
「昨日の司書はそこの鍵も外してくれなかったぞ」
「それはそれは」
くすくす笑いながら、私は資料室のドアに『閲覧中』の札を掛ける。
「それも忘れていったから、何度も人が確かめに来て作業を中断された」
彼がまたまた愚痴った。
「あはは。今日はもう大丈夫です」
「おまえがいると助かる」
さっきも告げられた言葉。
うっかり甘く綻んでしまいそうな口元を隠したくて、私は彼に背を向けた。
「それじゃ、いつも通り本は大切に扱って下さいね」
「ああ」
あと──もう一つ。
「それから」
ちら、と振り返る。
「息抜きも適度に入れた方が、作業もきっとはかどりますよ。ここの2ブロック先のベーカリーのサンドイッチはランチにお勧めです」
早口で言うと、彼は少しだけ呆気に取られ……それからふっと笑った。
「分かった」



その日のお昼時、私が休憩から戻ると、ロビーに珍しく彼の姿が見えた。
目が合えば、彼は膝の上に置いた紙袋をそっと持ち上げてみせる。
私が勧めたベーカリーのロゴ。
意外と素直な人なのかもしれない。
私は無性に嬉しくなって、にっこり笑顔を返した。





『怖い人』というレッテルを取り払ってしまった後は、私は彼に普通に接することが出来るようになった。
館内で擦れ違えば挨拶もするし、ときには他愛無い会話も交わす。
と言っても、彼は元からそれほど口数が多い方でもないようだったが、例え片言の返事であっても、前よりだいぶ口調がくだけたせいか、印象がまるで違う。
ただ、調べものに関しては相変わらず進展がないようだった。
私も手隙の時間を見つけては、フォルトゥナ関連の本を探してみた。
彼が何を調べているのかは分からないが、それでも何かしてあげずにはいられなかったのだ。



夕方、学生がぞろぞろ立ち寄るピークの時間が過ぎた頃。
私は歴史書のコーナーにしゃがんでいた。
パソコンの目録に「あるはずの本がない」お化けがあるなら、書架にはもう「ないはずの本がある」パターンもあるかもしれないと、一縷の望みをかけて手探りで本を探しているのだ。
「こんなの……もう誰も読んでないよね」
埃っぽくなった書物をあれこれ引っ張り出し、ぱんぱんと表紙を叩く。
すっかり紙焼けした古めかしい本。
何冊もカートに乗せて、カウンターに戻る。
戻りがけに資料室をちらりと見れば、彼は眉間に皺を寄せた小難しい顔で本のページを繰っていた。
やはり、何か手助けしてあげたい。
「どうか何かありますように」
祈るように、次々と本の目次を探す。
しかし無情にも、用済みの本ばかりが積み重なっていくばかり。
残るは、タイトルを見ただけでも頭が重くなりそうな、宗教に関する厳格な書。
最初から半ば諦めながら、ささっと捲っていく。
……と。
「『フォルトゥナに根付く宗教』……?」
一応、フォルトゥナに関する資料には違いない。
「こんなの役に立つかなあ」
微妙すぎるラインだが、写真資料集も一応喜んでくれたし、何でも見せてみればいいかもしれない。
「よし」
私は、後ろの司書に声を掛けてから、資料室へ向かった。



「バージルさん」
ノックした上で扉を開ける。
「……ああ。か」
やっと現実へ戻ってきた、という態で彼が顔を上げた。
しばらく根を詰めていたらしく、コキコキと首を鳴らしている。
「相変わらずですか?」
「相変わらずだな」
苦い表情の彼に、そっと近づいた。
「役に立つかは分かりませんが、こんな本を見つけましたよ」
さっきの本を渡す。
「土着宗教に関する本なんですけど。……ほら、ここです。魔剣教団とかなんとか」
「……これは……」
彼がじっとページに目を走らせた。
それきりうんともすんとも言わない。
「やっぱり違います?」
不安になって、彼を覗き込む。
いきなり彼が私を振り仰いだ。
「……俺の」
「はい?」
「俺のために探してくれたのか」
「……」
間近に見つめられて、しかもはっきり言葉にされると、さすがにちょっとだけ照れくさい。
私は斜め上に視線を逃がした。
「まあ、暇な時間があったので……」
ふ、と彼が口元を緩める。
「ありがとう」
なんてことないお礼の言葉。
それなのに、胸の真ん中がくしゅくしゅとくすぐったい。
「……じゃあ、私はこれで……」

彼が本を持ち上げて振る。
「恩に着る」





翌日。
うきうき沸き立つ気分のまま、カウンターに座る。
九時を過ぎれば、彼がやってくる。
そしてこれまでと同じように書類を渡し、資料室に彼を通して、その戻り際。
「これを」
彼が折り畳んだメモを差し出した。
「何ですか?」
開けば、何冊かの書物のタイトルが書き出してある。
それだけのメモだが、彼は僅かに落ち着かない様子で身じろぎした。
「そこに書いた本を、閉館時間までに揃えておいてくれないか」
頼まれてみれば、何てことはない内容。
私は快く頷いた。
「いいですよ。そんな時間で間に合いますか?もっと早く探せますけど」
「いや」
彼はすぐに首を振る。
珍しく、慌てたような素振り。
「今日は昨日見つけてもらった本で手一杯だからな。閉館時間で頼む」
確かに本がたくさん積み上げてあったら、気分的にも仕事が増したような感覚で嫌なものだ。
「分かりました。じゃ、閉館時間にまた来ますね」
「ああ」
彼はじっと私を見つめた。
「……待っている」



「えっと……
Identity and Culture
Lincoln in Memory
Omen
Victorian Fiction
Educational Method
Universal Designs of 21-Century
……全部で6冊ね」

夕方、雑務の合間に私は彼のメモに従って本を揃えていった。
どれもこれも、ジャンルからして多様で、フォルトゥナには全く関係ないものばかり。
ちょっと不思議に思いながら、とにかくカートに本を入れていく。
最後の本は、デザインの資料。
こんなものまで読むのか……と感心しながらそれを手に取ると、そこにひょこっと挟まれた封筒に気付いた。
「?」
前回これを借りた人がうっかり挟んだまま忘れたものだろうか。
そっと抜き出して見て、驚いた。

宛名は私になっていた。
「なに……?」
裏返して、更に驚く。
『Vergil』
差出人は、彼の名前。
「……どういう……」
訳が分からないのに、心臓が早鐘を打つ。
封筒を開いていく指先が細かく震えた。
取り出したメモには、相も変わらず几帳面な彼の文字が並ぶ。

『今夜、息抜きに付き合って欲しい
 閉館後、ベーカリー前で』

たった、それだけ。
それを伝えるためだけに、こんな回りくどいことを。
「もう」
器用なんだか不器用なんだか、繊細なんだか大胆なんだか、よく分からない。
分からないからこそ、知りたい。
時計を見上げれば午後八時半。
──もうすぐ、彼に会える。





仄かなガス灯の明かりの下、彼が腕組み姿で待っていた。
何を背にしても絵になるなぁと、ついつい見惚れてしまう。
「遅い」
私に気付くと、目を逸らしながら文句を言われてしまった。
けれど、口調は責めるようなそれではなく、むしろこの場を誤魔化すような──
彼の憎まれ口は案外、本音を隠すためのポーズなのかもしれない。
そう思えば、何だか微笑ましくもなる。
「閉館後すぐ帰れるわけじゃないんです」
「封筒に気付かなかったのかと思った」
「そこまでどんくさくはないです」
「そうは思えんが」
言い返しても言い返しても、会話が続く。
文句でも皮肉でも……彼の言葉なら心が騒いでしまうのが悔しい。
私はできるだけ平静を装って、彼の隣に並んだ。
「で、息抜きはどうします?ベーカリーはもう閉まってますけど」
シャッターの下ろされたパン屋を見やる。
「おまえ……」
彼が呆れたように溜め息をついて私を見下ろした。
「本当に鈍いようだな」
「ええ?」
何のことか。
「あのメモの本当の意味……」
彼がぽつんと呟く。
──本当の意味?
本のタイトルが並んだだけのメモ。
あれは最後の本、封筒に辿り着くための宝の地図というだけじゃ?ときょとんとした。
それから、分からないままにしておくのも気持ち悪いので、封筒を取り出そうとバッグを探る。
その手を彼が止めた。
「いい。どうせ息抜きに付き合えば気付くことだ」
「……?」
息抜きに付き合えば気付くこと?
ますます分からない。
ぱちぱち瞬きしていたら、彼がふんと鼻を鳴らした。
「気付かないなら気付かせるまで」
「あ、ちょっと!」
強引に手を引いて行く。
引っ張られていきながら、私の頭の中は疑問符が踊る。
彼からの謎は謎を呼ぶばかり。
でも、最後の最後の謎を解いたとき──宝物を手に入れた瞬間、きっと私の世界は変わる。
バージルと手を繋いだ瞬間、それだけははっきりと確信した。







→ afterword

32109の階段を踏んでくださったナーナ様リクエストのバージル甘夢でした。
甘…い?せいぜい微糖くらい…?すみません…!!
1話完結ってむずかしい

原作っぽいバージル(とっつきにくそうで神経質そうで…etc)を意識してみました。
最大の魅力の、知的な感じが少しでも表現できていたらいいのですが…;
そして原作だとオープニングで思いっ切り本をバターンて閉じてますね…館長が怒るよ!

あ、バージルのメッセージはちゃんと受け取ってくださったでしょうか。
これにすぐ気付いた方は、きっとゲームの謎解きとか得意な方だと思います!
ヒロインのように見過ごしちゃったお客様は、ぜひ『気付かされる』前に気付いてあげてください(笑)

それではリクエストしてくださったナーナ様、並びにここまで読んでくださったお客様、どうもありがとうございました!
2008.8.20