が再び地面に下ろされたときは、ダンテはいつものダンテだった。
バイクに乗って一路の家へと戻る道すがら、どちらも言葉を交わさなかった。
目に馴染んだ景色の前に降り立ちバイクを停めて、ようやくダンテはを振り返る。
「……怪我は?」
を気遣いながらも、ダンテは目を合わせない。
「大丈夫。ダンテは……」
──大丈夫なのだろうか。
はダンテの掌に指を伸ばした。
いたって普通な、人間の肌。先程感じたあの質感は──
「……騙すようなことして悪かったな」
ダンテは自嘲気味に笑んだ。
の、その指が届かない所まで離れる。
「オレの本性は、犬より悪い」

「悪魔の血が、半分流れてるんだ」




6 : primary




悪魔なら、見たことがある。
幼い頃、父母と兄と四人で遠くまで外出して帰りが遅くなった、その夜道でのことだった。
暗がりから沸くように生まれ、闇が凝ったような不気味な姿は、今でも目に焼きついている。
母がの目を隠し、兄がその前に立ちはだかり、父が車に積んでいた猟銃でそれを撃った。
重い音が何撃も聞こえたから、狐や鳥よりも相当に強いのだと子供のにもはっきり分かった。
父が首尾よく倒してくれ、家族の誰にも怪我はなかったが、それにしても悪魔と出会った恐怖はしっかりと刻まれた。
(ダンテが、その悪魔と同族?)
確かに廃工場から逃げ出す最中に見たダンテの姿は、人間ではなかった。
(ダンテは『それ』を本性だと言った)
だが。
硬い皮膚から伝わるものは血の通ったあたたかさで、それはを守ろうという意思に満ちていた。
の前で悪魔の血の力を解放するということは、彼にとって苦渋の選択だったのだろう。
あのときは、それ以外にもはや生き抜く術は残っていなかった。
ダンテだけならともかく、足手まといの女の自分が一緒だったのだから。
(それでも)
はダンテを見上げる。
犬より悪いと蔑む力を使ってでも、自分を助けようとしてくれた。
それがダンテのやさしさ、そしてつよさでなかったら、他に何と呼べばいいのか。
悪魔よりもひどい人間なら、このスラムにごろごろいる。
ビルだってそうだった。
(姿かたちで悪魔かそうでないかなんて、そんなの関係ない)
「ダンテ」
呼びかけると、そっとダンテは目を上げた。遠慮がちな目。
(そんな目、ダンテらしくない)
そう思ったら、すこしだけ緊張が解れた。
「疲れてるし、家に入らない?」
さっきからずっとの家の前で立ち話だ。
誘いにも、ダンテは首を振った。バイクを親指で示す。
「……いいや、オレは帰るよ」
今にも帰りたそうな素振り。
はふるふると顔を振って引き留めた。
「報酬がまだよ」
きっぱりとダンテの愛銃を指差す。
「いや、いい」
視線を上げず、ダンテは身を捻る。
「結局ビルを撃ったのもオレだ。完璧な形での手助けはできなかったんだ」
だから、報酬は要らない。
そう言うダンテに、は溜め息をついた。
(私に撃たせたくなかったくせに)
一発目は出鱈目な狙いだったから、そのまま撃たせた。二発目、本当にビルに当たりそうだったから、撃たせなかった。
(それくらい……気づいたよ、ダンテ)
いつから決めていたのだろう。ひょっとして、が復讐を言い出した時からか。
人のことはとやかく言えないが、彼も相当な頑固者だ。
しばらく無言のまま見つめあった後、不意に手を伸ばし、ダンテの背中のホルスターからエボニーもアイボリーも抜き取る。そして、大事に胸に抱えた。
隙を突かれて、さすがのダンテも呆気に取られた。

「約束くらい、果たさせて」
「……。」
ダンテはなおも縦に首を振らない。
「時間も掛けないように頑張るから」
必死に重ねられた言葉に、ついにダンテは表情を緩めた。
「……そういうことじゃねぇんだけど」
「じゃあ、大人しく家の中で待ってて」
ごく自然に、はダンテの手を引いた。
躊躇いもなく触れられた指先に、ダンテはすこしだけ息を飲んだ。
告白の緊張ですっかり冷え切った手を、がしっかり包む。
その手が細かく震えていることに気付き、ダンテは手をそっと離そうとした。
が、手が離れる前にがダンテに振り返る。
「それから」
「……ん?」
こちらを凛と見上げるは、もう普段の彼女と何も変わらず──ひとつだけ違うのは、頬にうっすら朱が差していること。
「ダンテの本性は、ダンテでしょ。最近ずっと一緒にいたんだもの。今さら犬だの悪魔だのって誤摩化そうとしたって、騙されないんだから」
早口で言い切るなりぷいっと前を向いてしまったに、ダンテはがくりと頭を垂れて……それから全開の笑顔で天を仰いだ。





白の銃と黒の銃と、役目を終えて色を失った銃。
その三つを並べ、は深呼吸した。
瞼を閉じれば、兄の顔がはっきりと浮かんだ。
「……いいよね?」
こころの中で兄に訊ねてみる。
──まだほんのすこしだけ、迷ってるんだ。
『好きにしたらいい』
記憶の中の兄はおおきく頷いた。
『それは、お前の銃だ』
「だけど……ダンテは。ダンテは半分、悪魔なんだって」
遠い昔、私たち家族を襲った、あの悪魔の同族だって言うんだよ。
俯いて唇を噛み締めたに、しずかな兄の声が降って来る。
『お前はあいつを本当の悪魔だと思うか?』
「ほんとうの……」
ダンテは自分が普通の人間ではないと、気まずそうに、ひどく切なそうに笑っていた。
あんな表情。
は激しく首を振った。
ダンテは人間よりもやさしい。
『それに俺がどう言おうと、お前の心はもう決まってるんだろう?』
兄がルガーを見つめた。
手を掛けて作り上げた、最高傑作。
世界にただひとつのこのゴールドルガーを本当に使いこなせるのは、彼をおいて他には誰もいない。
『あいつに使ってもらえるなら、嬉しいよ』
「兄さん」
『“”は持つ人を選ぶ。そして、それは──』
目の奥に浮かぶのはたったひとり。
「うん。ありがとう」
は目を開けた。
もう、迷わない。






初めて本人に向かって名前を呼んだ日のことは、今でもはっきり覚えている。
『……。私、自己紹介した?』
あなたに名前を教えた覚えはない、と彼女は全身で訝しんでいた。
あのときは銃のゴールドルガーを見て知ったんだと誤摩化したのだったが……本当はエンツォから聞くずっと前から知っていた。
仲間内では有名な、ガンショップの紅一点。
わずかな接点しかなかったお互いの距離を縮めたのは、皮肉なことにも不幸な出来事だった。
けれど、これから先は──


「ん……?」
陽射しがじりじりと眩しく睡眠を妨害してくる。起こされてダンテは思い切り顔を顰めた。
壁掛け時計を見れば、既に正午。
昨夜帰って来たのが遅かったとはいえ、実によく眠ってしまった。
「……?」
眠りに落ちる寸前までは、隣の工房からかちゃかちゃと金属の擦れ合う音が聞こえていたのだが、今はひたすらしんと静かだ。
(眠ったか?)
タフな自分でも疲労を覚えたのだ、華奢な彼女などもっと心労でぐったり、本来なら銃のメンテナンスなどしていられる状態ではなかったはずだ。
(やっぱ、無理にでもやめさせるべきだったか)
気が利かない自分に苛立ちを覚えて頭をぐしゃりとひと掻きし、弾みをつけて起き上がる。
そっと作業場を覗けば、ぽかぽかと降り注ぐ陽光を背に受けながら、は机に突っ伏していた。
眠っていながらも、彼女が大事そうに握り締めているものは──

「……嘘だろ」

ぴかぴかに磨き上げられた、EbonyとIvory。
そして、ばらばらになったルガー。
が何をしたか、確かめずとも一目で分かった。
ルガーのパーツでもって、ダンテの銃を組み上げたのだ。
なまじっかなパーツではアイボリーは満足しない。それはダンテも分かっていた。
だがまさか、がショーンの遺した銃のパーツを使うとは……
エボニーとアイボリーもそうだが、ゴールドルガーだって世界にただひとつの銃だった。他に代わりはない。
それを分解するとは、どれだけの葛藤があったことか。
……」
呼ばれて気付いたわけではないだろうが、の指がぴくりと震えた。指先にはまだオイルがついている。銃二丁を組み立てる作業を一気にやり通したのだ、手を洗う余力もなかったのだろう。
そっと近付くと、ダンテはの指に触れてみる。
(この手を血に染めずに済んでよかった)
いくら仇とはいえ、人間を撃つことは……重い。
としては不本意だったかもしれないが、彼女にその枷を負わせたくなかった。
「無茶させちまったな……」
ダンテは机に寄り掛かって、こんこんと眠り続けるに手を伸ばす。
起こさないようにそうっと彼女の頬を撫でる。
いかにも傷つきやすそうな柔肌。

(全部、受け取ってやる)

Evil Eyeなどと不名誉な通り名をつけられた不運な銃のパーツも
兄を喪失って、突然ひとりぼっちになってしまった

「全部だ」

指で触れるだけでは足りなくなって、ダンテはの頬にキスをした。





「ん……」
顔に何かあたたかくてやわらかいものが触れた。
何度目かのそれを受け、は眠りから覚めた。
重たい目蓋を苦労して開けば、目の前に……文字通り本当に目の前に、ダンテの顔があった。
「だ、んて」
間近すぎる青い瞳に、途端に意識が100パーセント覚醒する。
「おはよう」
にこりと爽やかにダンテが挨拶した。そして、ごくついでという感じの軽いキスをの頬に落とす。
「と、言いたいところだが」
身動きが取れないまま固まっているに、ダンテは腰を屈めてしっかりと目を合わせた。
「ちゃんとベッドで寝てくれ。こんな堅い机じゃ疲れも取れないだろ」
ぎ、と力任せに椅子を引く。
それでも立ち上がらないに、ダンテは苦笑した。
「なんなら、抱っこでベッドまで運んでやろうか?」
「い、いい!」
慌てては床を蹴って立ち上がった。
「ちゃんと自分で行くから」
「そうか」
つまんねぇの。ダンテはそう言いたげだ。
それからすこしだけ沈黙が流れ、自然とふたりの視線は作業台に辿り着いた。
並べられた銃二丁と、もとは銃だったもの。
「……完成、させてくれたんだな」
ダンテがふっとアイボリーを持ち上げた。
前より僅かに重くなっただろうか。その分だけ、しっかりと手首に感じる頼もしさ。
「完璧だ」
「まだ試射してもいないのに?」
「触れば分かるさ」

「「ありがとう」」

うっかり同じタイミングで同じことを言ってしまって、ふたりはちょっとだけ照れた。
「オレはともかく、何でが『ありがとう』なんだ?」
先に口を開いたダンテに、は目を伏せた。
台の上のゴールドルガーのパーツを見つめる。
「この銃は大切だったけど、ずっと持ち続けるには辛すぎたから」
大事な兄の命を奪った銃。
──仇を討った後は、自分の命も奪わせようとしていた銃。
「だからね、そんな銃のパーツを使うなんて、本当はダンテには悪いと思っ──」
が全てを言い切る前、ダンテの指がそれを塞ぐ。

銃のゴールドルガーは持ち手を選んだ。そして辿り着いた。
は──
「もらっていくぜ」
ダンテはにっと笑った。
の手を掴む。

「ゴールドルガーも……おまえも」
「ダンテ」
「もう絶対、離さねぇ」

強引な宣言とともに、ダンテはをぎゅっと抱き寄せた。
伝わるものは血の通ったあたたかさ。
それはを護ろうという意思に満ちていた。
「私は生きていて……いいの?ダンテに全部、背負わせて」
ダンテの返事はの唇に溶けて、そのまま彼女の心を赤くあざやかに染め上げた。