5 : trigger




夜陰に乗じて、ダンテは犬を追う。いや、正確には犬の異名を取る男。
──の兄を殺めた人物。名をビルという。
これまでの探索から、奴が隠れそうな所はもういくつか見当がついていた。
あとは一カ所一カ所、潰していくだけ。
「もうすぐだ」
吐く息が白い。
外気は零度近いかもしれない。
だが愛車のバイクではなく、もっと小回りの利く徒歩で走り回っているせいか、寒さはあまり苦にならなかった。
何日もろくに事務所に戻っていないが、さして疲れてもいない。
それよりも早く、彼女に……に情報を運びたかった。
兄を喪失った心の痛みを取り除いてやることはできないが、彼女を苦しめる原因を減らすことならばできる。
(あいつも、そろそろ自分の人生に戻っていいはずだ)
先に進むことは、忘れることと同義ではない。いつまでだって、家族を思っていればいい。だが、として生きていけるのが前提だ。
(復讐なんか、あいつに似合わねぇんだよ)
だから、手を貸す。場合によっては、最後のトリガーを引く。の代わりに。
ダンテは鋭く周囲を見渡した。
辿る足跡の人物へは近い。





は薄暗い部屋の中、作業台を何度も指先で撫でていた。
ささくれた木目が心地よい。
今日もまた気温が下がった。
こんな中、ダンテはビルを追ってくれている。
ありがたいと思った。本当にありがたい。
自分ひとりではきっと立ち上がれなかった。
どんなにビルを憎らしいと思ってみても、一介の銃器屋でしかも女の身。
仇を討つと叫んでみるのは簡単だが、実行するには勇気も行動力も足りなかった。──自分ひとりだったなら。
ダンテがいてくれたから、立ち上がれた。
……ゆっくりと首を巡らせ、は壁にかかった優美な銃を見上げる。
Evil Eye。いや、。自分の名を冠した分身とも呼べる銃。兄の形見。
「もうすぐ出番よ」
指紋がつきそうなほどひやりと冷えた銃身を手に取る。
の手には少々重い、それ。
これでビルを撃った、その後は──
ダンテをすこし悲しませてしまうかもしれない。けれど、はもうそれ以外にこの復讐劇を断ち切る術を見つけられなかった。
「兄さん……許してくれるよね?」
答えてくれる人物はもういない。
けれど代わりに、銃が月の光を返してちいさく瞬いた。
壁にゴールドルガーを戻したとき、
りりりん
電話が鳴り出した。



夜更け過ぎの電話は、ダンテからだった。
『ビルの居所が分かったぜ』
いつもより微かに硬質なダンテの声。
「すぐに合流する」
そう返事し、は寒風が肌に突き刺さる夜の中へと飛び出した。





──兄さんを殺めた奴に、ようやく復讐できる。
剣呑な思いを抱いている割に落ち着いていた。
そんなことを考えていられる自分が自分で不思議な程だ。
もっと武者震いだったり、恐怖だったりで恐慌状態に陥るかとも思っていたが。
(……一人じゃないから?)
遠く視線の先、ダンテのバイクのライトが丸く光っている。
暗闇の中にぼんやりとしてはいるけれど、決して見失うことはないだけの明るさ。
近付いていくと、車体の傍のダンテの姿もはっきり見えるようになった。
赤いコートを着込んで悠々と、それでいて隙なく構えている。
いつもと全く変わらない姿。
変わらないからこそ、こんなときにはとても頼りになる。
「ダンテ」
声を掛けると、今気付いたというようにダンテがを振り返った。
「よぉ」
身軽にバイクから降りると、ダンテは彼女にはそうと気付かれない程度にを観察する。
復讐を前にして、取り乱しているか、興奮しているか──
はどちらでもなかった。
凛と顎を上げ、しっかりとした面差し。
「こんなに早く見つけてもらえると思わなかった。ありがとう」
僅かに微笑みさえ浮かべ礼をするは、普段と何も変わらないように見えた。
……少なくとも、ここまでは。
「礼を言うのはまだ早いぜ」
親指で彼女にバイクの後ろに乗るように促す。
「ここからが本番だ」
「そうだね」
自らを鼓舞するように大きく頷いて、はバイクの後ろに跨った。が、両の腕はどうしようかと、躊躇いがちに彷徨わせる。
すぐにダンテがそれに気付いた。ちいさく微笑む。
「飛ばすからしっかり掴まってろよ」
「うん」
おずおずと回された手を、ダンテがぐいと固定した。
「行くぜ」
地を蹴ってアクセルを吹かす。
マフラーから上がった煙は、まるで反撃の狼煙のように夜闇へと尾を引きたなびいていく──





烈しい排気音で静寂を引き裂き、二人は目的地へと到着した。
「ここ?」
降り立ち、は前方のくすんだ廃工場を睨んだ。
バイクからキーを抜き、ダンテも横に並ぶ。
「元は薬品工場だったらしい。潰れてからは連中に都合のいいアジトとして使われてる」
意識しているからかもしれないが、辺りにはかすかに澱んだ匂いを感じる。
ここへ来てともすればよろめきそうになる覚束ない足を励まし、は歩き出した。
と、その肩にダンテが手を置いて止めた。
「オレが先に行く」
「でも」
焦ったに、ダンテはゆっくりと笑んで見せる。……いや、口元は微笑んでいるが、目は厳しい。
「悪いな。レディファーストはレストランだけだ」
常よりも低く張り詰めた声に圧倒され、はダンテの背後に回った。
広い背中。
赤いコートがここまで攻撃的に、そして力強く頼もしく見えたことがあっただろうか。
「ダンテ」
思わず呼び掛けて、彼の裾を掴んでしまった。
ダンテは何も応えはなかったが、ただはっきりとひとつ頷いてみせる。
全てをわかっていて、を安心させるように。きっぱりと。



……ぴちゃん。ぴちゃん。ぴちゃん。……
広々とした空間に規則正しく谺を引きずって響くそれは、天井を伝った無数のパイプから水が滴る音。
廃れた工場内に明かりの導きがあるはずもなく、コンクリートの床を照らすのは僅かな月光のみ。
間断なく注意を払い、二人は奥へと進んだ。
本来のダンテの気性なら、こんなスパイめいた潜入などしない。
派手にドアをぶち破って襲撃開始、多少の怪我も物ともせずに目標を倒したら、それで終了。
大人しく被害を最小限にしようと行動する理由はただひとつ、背中に庇う大切な人物がいるからだ。
ただでさえ不気味な夜の廃工場。
気遣えばは気丈に目を合わせてくるが、それでも握ったダンテのコートの裾は離さない。それが痛々しかった。
(早く何とかしてやりたい)
「少なくとも、お姫様が来るような場所じゃねぇな」
何とか彼女を和ませようとダンテは軽口を叩く。
答えては口角を上げようとし──その目がおおきく見開かれた。
鋭く振り返ったダンテは逆に目を細める。
真っ暗な廊下に平然と並ぶ扉、そのうちの一枚から光が洩れていた。

「こっちだ」

不意に野太い声が響く。
びくりと背後のが体を強張らせた。
「どうした?入って来な」
それは間違いなく、二人が追い掛けてきた人物のもの。
そっとに目配せし、ダンテは鈍色の扉を押し開いた。
ぎぃぃと軋みながら拓けた視界には、にやりと不敵に笑む男。
ビール腹と卑しく弛んだ顔。“Bulldog”、ビルだ。
抜かりなく周囲を五感で警戒しながら、ダンテはビルを見据えた。
「オレ達のこと、何で分かった?」
ビルはにやつきながら、無言で太い指で部屋の上部を示す。
そこには青白い顔のモニターがいくつか無造作に取り付けられていた。
ダンテはおぞましいものを見たとばかりにむすっと唇をへの字に曲げる。
「なるほど、監視されてたってわけか。趣味がいいな、あんた」
「俺を嗅ぎ回ってる奴がいるって聞いたからな」
ビルは必要のなくなったモニターのスイッチを切る。電源が落ちる前に一瞬だけ砂嵐の音がして、そして途切れた。
「追われてるのを知ってて逃げなかったのか」
ダンテの問い掛けに、ビルはハンと鼻を鳴らす。
「貴様に狙われて助かった奴はいない。仲間内では貴様のあだ名は『hellhound』だ」
「……犬に犬呼ばわりされるとはね」
不愉快そうに眉を寄せ、ダンテは首を振った。
「それで、俺に用があるのは……」
そんなダンテから視線をずらし、ビルはゆっくりと後ろを探る。
「あんただな。ショーンの妹」
分かってはいても、はびくりと肩を震わせた。
ダンテは慎重に二人の間に立つ。

あくまでを庇おうとダンテは手を伸ばす。
ダンテにしっかりと目配せしてから、は自分を庇う腕を押し退けて前へ進み出た。
「そうよ。兄の仇を討ちに来たの」
全力で顔を上げてビルを睨む。
「感動的だな」
ビルが余裕たっぷりに反り返った。
その一挙手一投足すべてがの神経を逆撫でする。
ぞわぞわと、猫なら逆毛が立ちそうな感覚。
不快か恐怖か、逃げ出しそうな足に力を込め、は改めてビルをきつく睨んだ。
「感動的なまま、もうすぐエンドロールよ」
精一杯言葉に毒を含ませる。
(そう、もうすぐ終わる)
目はぴたりとビルから外さないまま、唇を噛み締めてゴールドルガーを持ち上げた。
グリップを引っ掛けた指に、ずしりと負荷がかかる。
──彼女はこんなに重かっただろうか。
『拍子抜けする程の扱いやすさ』そう自信を見せた兄の顔が浮かぶ。
(集中しなきゃだめ!)
ゴールドルガーを使うのはこれが初めてだ。そうでなくても、集中しなければ銃など扱えない。
だが、左手でグリップを支えても、サイトが細かく震えてしまう。
緊張で呼吸は浅く早くなる。
「やめときな。可愛い手が震えてるぜ」
なかなかトリガーに指が伸びないを嘲弄し、ビルは余裕すら見せている。
その喉元に銃口を定め……それでもの指は言うことをきかない。
──引けない。
の指は凍ったままだ。
動かない。どうしても。
「やっぱり女にゃ復讐は無理だ」
これまでの散漫な動きから一転、ビルが素早く銃を抜いた。
乾いた重低音が15発、空を裂く。
それらを全て受け止めたのはの体……ではなかった。
「いきなり女の子を撃つとはね、さすが野犬」
「な、に?」
「しかも全弾吐き出したのか。やれやれだ」
ビルが目を見開く。
目の前には何故だか狙いを定めたではなく、彼女の後ろにいたはずのダンテが立っていた。
そのダンテにも、銃弾を受けた痕はない。
「貴様!何をした!?」
いくら短銃とは言え、外すような距離ではない。
「何って。鉛玉を受けただけだけど」
ダンテは飄々と大剣を回してみせた。
その拍子にぱらぱらと金属の破片がきらきらと散らばる。どれも切り口が見事に切断された、元は.45弾であったもの。
ビルはごくりと生唾を飲んだ。
「その剣でか?」
「ああ」
ダンテはつまらなそうに頷く。
彼の大剣──本来の役割ではなく若干不服そうであるが、主の意思に従って忠実にきらりと誇らしく光を反射させるのは、『反逆する者』リベリオン。
「そんなわけが……」
秒速270メートル以上で飛ぶ弾道を見切って、しかもそれをいかにも重たげな剣で斬ってただのゴミにするなど。
有り得ない。
「馬鹿な!」
ビルがもう一丁の銃を懐から抜き取った。ろくに照準も合わせず、ひたすらに乱射する。
「あんたさ、」
甲高い音を上げて、ダンテのリベリオンはそれら全てをに触れさせることなく弾く。
再び金属片が辺りに降り注いだ。
「それしか芸がねぇのかよ?」
ダンテがぐるりと肩を回した。
今のはウォーミングアップだとでもいうかのような態度。
「……ち!」
手持ちの二丁どちらも弾倉内の銃弾を使い切り、ビルは忌々しそうに舌打ちした。
「ないなら、こっちの番だ」
リロードにもたつくビルの滑稽な姿は、こちらにとって絶好の機会。
振り仰いだダンテに呼応するように、は一瞬でトリガーを引いた。
震える指を強引に引き金に引っ掛けるように──ぎゅっと、目を瞑ったまま。
ガァン!
派手な音と共に放たれたゴールドルガーの一弾は素直に真っ直ぐ伸び──しかし、ビルを仕留めることはできなかった。
目的を捕らえ損ねた跳弾が、その横のパイプを貫く。
すぐさま亀裂からしゅうううと勢いよく白い煙が噴き出して、もうもうと地を這い視界を煙らせた。
危険なガスではまずいと、ダンテは犬のように鼻をひくつかせる。
(液体窒素か何かか?)
ガスらしきものそれ自体に臭いはない。……が、どうもきな臭い。
(まだこの工場のラインは生きているのか?)
──いや、違う。
湧き立つ最悪な事態に、ダンテの第六感が警鐘を鳴らす。
(何でビルは追われているのを知っていながら、ただcheckmateされるのを待っていた?おとなしく殺されてやるため?)
──いや、まさか。
「外れだな、ちゃん」
ビルが愉快そうに、充填の終わった銃をちらつかせる。
「あともう少しだったのになあ」
「……っ!」
今なお言うことをきかない腕を励まし、はもう一度ゴールドルガーを構え直す。
──今度こそ。次こそ、確実に狙わなければ。しっかりと目を開けて。
「まだよっ!」
ビルに銃口を上げた彼女の手首を、ダンテが引き寄せた。
強引にルガーを奪い取る。
「ダンテ!?」
驚いたを背に庇い、ダンテはビルを睨んだ。
その表情からは先程まで見せていた余裕はもう影を潜めている。
「さすが悪党、考えることが違うね」
ダンテの言葉に、ビルは片目をすがめた。
「気づいたか」
「ああ」
「ダンテ?何のこと」
問い掛けたの語尾を掻き消すように、轟音が周囲のパイプを震わせた。
遠くで起こったくぐもった不吉な音が、細かな揺れと共に足元へ這い上がって来る。
──悪い予感が当たってしまった。
ダンテはしっかり両足を踏み締め、空いた腕でを抱き寄せる。
「もうじきここは爆発する」
「え……!?」
まさか、と言おうとしたの足元が上下に鳴動した。
段々と大きくなっていく振動に、ダンテに掴まっていないと一人では立っていられない。
自然としっかり抱き合う。
その二人の様子に、ビルは狂気に彩られた目を爛々と輝かせた。
「もう間に合わんぞ」
ビルの言葉を証明するかのように、遠雷のように響く爆発音は徐々に大きくなっている。
ぎりぎりのカウントダウン。
「逃げてみせるさ」
だが、その前に。
こんな卑劣な相手に自爆の死など、そんな優しい見逃し方はできない。
ダンテはルガーをくるりと一回転させて構えた。ゴールドルガーのトリガーに人差し指を絡める。
初めて構えるが、もう何年も共に戦い抜いた相棒のように手に馴染む、ショーンの最高傑作。
「あんたに決め台詞はもったいないな」
チェンバーに納められ、後は発射を待つだけの銃弾に少しの『力』を込め──そしてダンテはトリガーを、引く。

「Go to hell」

ゴールドルガーから伸びた閃光はビルの耳元を掠め、視界を引き裂いた。
ただの一弾でパイプと壁をまとめて複数なぎ倒し、ビルの姿はそこへ飲み込まれていく。
「えぇっ!?」
あまりにも強大なルガーの威力に、は息を飲んだ。
いくら兄の渾身の作とは言え、まさかあんな。
「行くぜ!」
呆然としたままの彼女をダンテは強引に引っ張る。
もう此処に用はない。
逃げ出さなければ、自分たちも命はない。
「走れ!!!」
ダンテに背中を押され、よろめきながらもは必死に走った。
ただ一度だけ後ろを振り返れば、程なく無数の破裂音がビルの倒れた辺りから響いた。



爆発に追い掛けられ、次々連鎖していく激しい音と光。
ダンテの背中に冷や汗が伝った。
(このままじゃ、間に合わねぇ)
このまま二人、人間の足で走っていたなら──爆発に巻き込まれる。
けれどもうひとつの方法を使った、そのときは──
一瞬だけ瞼をぎゅっとつよく閉じる。
「ダンテ!」
隣にはが追いついていた。
真摯に自分を頼って見上げてくる瞳。

──ダンテが護りたいもの。

彼女か保身か。
決意には一秒も必要なかった。
、ちょっと我慢しろよ」
「え?」
刹那、赤く幾重にも連なった波動が周囲を満たし、音なき音が鼓膜を打つ。
頬に熱波を感じた次の瞬間、
「!」
はダンテであったはずの『何か』に横抱きにされていた。
しっかりと頭を押さえつけられ確かめようもないが、胸と思しき部分に見えるのは、赤い鱗のような硬いもの。
それはを抱きかかえ、崩れていく工場の中を人間ではあり得ないスピードで駆け抜けた。