スピード違反チケットを切られてもおかしくないバイクの速度で、ダンテはありとあらゆる道を駆っていた。
(どこだ?どこにいる?)
絵の具が流れているような景色の中でも人間を見分けられる視力と、かなり乱暴な運転をしても平気な握力が、今日ほど役に立ったことはない。
常人にはおよそ不可能な能力、その全てでダンテは恋人を探していた。

大通りより、せせこましい小道の方を探してしまうのは、そちらで事件に巻き込まれる可能性を想像してしまうからか。
煉瓦の壁に行く手を阻まれたところで、ダンテは勢いよくバイクを反転させた。足元の砂が舞い上がる。停まったついでに、滴る汗をTシャツの胸元で拭う。
この行き止まりにも、探す姿は見つからなかった。
(もう一回メインストリートから洗い直すか)
地面を蹴り、手首を返してアクセルを開く。愛車はあっという間にトップスピードに乗った。
視界を邪魔する太陽の光は、先ほどよりも和らいで来ている。つまり、陽が落ちるのもそう遠くないということだ。
(夜になったらヤバい)
夜は不安を増幅させる。今でも心細いだろうは──
(ダイナーでもどこでも、店に入ってくれてりゃいいけど)
──店。
ダンテは急ブレーキを掛けた。
今まで、道沿いばかりを気にして探して来た。
「疲れてどっかで休んでるってこともあるよな……」
探す場所が増えた。
それは却って喜ばしいことだ。
再びアクセルを全開に吹かし、ダンテはを求めて走り出した。



「……来ない……」
はへなへなとその場にしゃがみこんだ。
が自分の場所を伝えてくれている、ダンテが自分を探してくれている、だから大丈夫。そう何度も自分を奮い立たせてはいるものの、さっきの電話から既に一時間は優に経つ。
(そろそろ、もう一回電話してみようか)
電源を切ってある携帯をまた開く。
(でも、『来ないよー』って電話したところで、どうにもならないし……)
そして携帯を閉じる。
ここまでの作業を何度繰り返したことか。
「はぁ」
溜め息をつくの横を、砂煙を上げて車が通り抜けて行く。
陽が傾いてきたせいか、走る車の数そのものも減って来ている。
「ダンテ、ここの場所わからないのかな」
彼はここら辺には詳しくないのかもしれない。
(いっそヒッチハイクしようか)
通り過ぎた日本車を見て、何とはなしにそんなことを考える。
(親指を立てるんだったよね……。日本車の人なら、日本人に親切にしてくれるかな)
自分がここではマイノリティーであることを意識した途端、抑えていた寂しさが噴き出してきて胸が苦しくなってしまった。
ダンテはまだ来ない。
携帯を開いて、起動する。
「あ」
日本を出発してから充電していなかった携帯は、ついに電池マークがあと1つになってしまった。これでは迂闊に開いて閉じても出来ない。
連絡する手段は、今のところこの携帯しかないのに。
(どうしよう。ほんとにヒッチハイクしようか)
立ち上がる。
そわそわと体中を巡る不安感に圧倒され、どうしたらいいのか判断が出来なくなってしまってきている。
陽が落ちても、このまま待つべきか?……でも、夜になってもダンテが来なかったら?
リカーショップは夜9時までと書いてある。その後はガソリンスタンドの明かりだけが頼みになる。暗い中、ひとりきりで──
(つ、次の車が来たら)
もうヒッチハイクしかない。
地図を見せて、スーパーの近くに連れて行ってもらえばいい。そこまで来たら、瀕死の携帯を使うか電話ボックスを探してに電話だ。最初の待ち合わせの場所なら、ダンテも問題なく来られるはずだ。
「地図、出しておこ……」
ポケットを探ったとき、左の方からエンジンの音が聞こえた。
「あ!」
慌てて音の方を向き、右手を上げようとし──
(バイクか)
手を下ろす。
さすがにバイクにヒッチハイクをお願いするのは無理だ。
がっくりと項垂れたとき、キイィと激しいブレーキ音に耳を打たれた。
何事かと、びくりと顔を上げる。
「ヒッチハイクしようって勇気はいいとして」
バイクから人が降りた。
「オレ以外の誰を止めようとしてんだ?」
太陽の残りのひとさしが、その銀の髪を綺麗に照らす。
(まさか)

そのひとが言った。世界一やさしい声で。
知らない。自分をこんな風に甘く呼ぶ、銀色の髪の人物は、世界中でただひとり。ダンテしか知らない。
「ダンテ……」
彼だと頭が理解した瞬間、走り出していた。
「ダンテ!!」
伸ばした指が彼に届く。あとはもうがむしゃらに飛びついていた。

ダンテは思い切り抱きついてきたを軽々と受け止め、しっかり抱き締めた。
「遅くなってごめん……」
「……っ」
感情の箍が外れ、嗚咽に狭まる喉からろくな声も出せないまま、はぶんぶんと首を振る。
(どうしよう、本当にダンテだ)
力いっぱい抱いてくれるあたたかい腕も、呼吸する度に感じる彼の香りも。
ダンテ以外の何者でもない。
ずっとずっと逢いたくて苦しかったひと。
「ダンテ……来てくれてありがとう……」
「当然だろ?」
ダンテはおおきく笑って額をかるくにぶつけた。
「王子様ってのはお姫様を迎えに行くもんだ」
ひたすら泣きじゃくる彼女の両頬を手で挟んで上向かせ、もう大丈夫だと目元に口づける。瞬きにつられて流れる涙も唇で受け止めて、おどけるように舐めてみせた。
それから、口の動きだけで「しょっぱいな」と笑う。
「もう」
の身体の震えも少しずつ収まり、ようやく小さく笑ったところで、ダンテは彼女の唇にキスをした。
「Welcome home」



飽きることなくキスを繰り返し、気恥ずかしくなったがダンテの胸に顔を埋め、その頭をダンテが何度も愛しそうに撫でて抱き締めて……愛情表現のループはとめどなく、気付けば辺りは完全に暗くなっていた。
音を立てて唇を離し、はそっとダンテを押し返す。
「……ダンテ、そろそろ帰らない?」
何でと問い返そうとして、ふたりの世界に耽っていたダンテの意識も、やっと現実の世界に戻った。
周囲が暗くなり、車も通らなくなって好都合とばかりも言っていられない。
自分の他にもを探す人物がいるのだった。
「そうだな。まずは無事にを見つけたって電話しとくか」
腰のポケットに手を突っ込む。
「ん?」
「どうしたの?」
「携帯が……」
そこにあるのは薄い財布ばかりで、持って来たはずの携帯電話はない。どうやらせっかちに家を飛び出したため、忘れて来てしまったようだ。
「え?がダンテに電話して、それでここが分かったんじゃないの?」
「いや、自力でここに来たんだ」
だから時間が掛かったのか。それにしても虱潰しに探してくれたダンテも凄い。
実際にこうして見つけてくれたのだから。
「ダンテ、相当いっぱい探してくれたんだね……」
もっと時間が掛かっていたらどうなっただろうとは考えない方が良さそうだ。
「ま、手掛かりナシでもオレが本気で探せばこんなもんだ」
気まずく照れ笑いして、ダンテはに手のひらを向けた。
は携帯あるよな?」
「うん」
……が。
「画面真っ黒だぜ」
「電池切れてた……」
真面目に見交わした後、ふたり同時に吹き出した。
「どっちもどうしようもねぇな」
「ね」
「んじゃ、さっさと帰るとしようぜ」
用のヘルメットを投げる。
ぽんと受け取って、は感慨深くヘルメットを眺めた。
「これも久しぶり」
またよろしくねと一撫でし、それから被る。
するするとスムーズに顎紐を通していくに、ダンテが意外そうに瞬きした。
「何か被るの上手くなってねぇか?」
「そう?」
澄ました顔でパチンと紐を留める。ダンテは少し訝しんだ。
「まさか他の奴とバイク乗る練習なんてしてねぇよな……?」
「まさか!」
「じゃあ何で」
一度疑ってしまうと、もう気になって気になってしょうがない。
そんなダンテの追求の眼差しから逃れるように、はそっぽを向いた。真剣に問われると、答えるのは逆に恥ずかしい。
「……したの」
「え?」
「練習したの!カーショップで!」
はさっとバイクに乗った。
──ある日、買い物に出掛けた先でカーショップが目に留まった。そこに堂々と並ぶバイクを見ていたらダンテを思い出してしまい、吸い込まれるようにショップに入った。
そこにはヘルメットもたくさん用意されており、何となく一つ手に取り被ってみたら、ダンテと出逢った日のことなど様々な想い出が次々と浮かんできた。どれもそう遠くない想い出。幸せな気分になり、それからちょっとだけ彼を近くに感じたような気がした。
それで度々ショップに出入りしてはヘルメット試着を繰り返し──いつの間にか着脱が上手になっていたという話なのだ。練習しようと思ってしたのではないのだけれど。
「乗るの楽しみにしてくれてたんだな」
ダンテが嬉しそうに笑み、指をに伸ばす。ぴったり留められた顎紐に沿って輪郭をなぞる。
「……でもやっぱ、次からヘルメットはオレの仕事な?」
少しでも彼女に触れたいというのが本音だ。子供っぽいと思われようと、何だろうと。
「分かった。お願いする」
ダンテの気持ちを知ってか知らずか、もちいさく笑った。
ヘルメットを被せてくれる彼の手は優しくて、どれだけを大切に思っているかよく伝わってくる。もダンテの申し出に異論はなかった。
「よし」
ダンテはの堅固に守られている顔の中で、ぽつんと目立っている鼻の頭にキスを落とした。それから風よけのシールドを下ろしてやる。
スーツケースはダンテが何とか片手で引きずっていくしかない。警察に見咎められないことを祈るのみだ。
「飛ばして帰るから、しっかり掴まっておけよ」
「うん」
もちろん言われるまでもなく、はぎゅっとダンテの胸に手を回した。
(あったかい……)
しがみつくと、ぴったり感じるダンテの頼りがいのある背中の感触に自然と顔が緩んでしまう。けれど、この表情はダンテには見えないのだ。
(だからバイクが好きなのかも)
どれだけニヤけていようと、からかわれずに済む。
そう思ったら更に嬉しくなって、はバイクの音が聞こえなくなるくらいにダンテに強く抱きついた。



とダンテが家に到着すると、は既に庭先に立って待っていた。
!!」
ー!!」
また泣き出してしまった恋人と、同じように泣き出してしまった彼女の親友を目の端に収めて笑い、ダンテはバイクのスタンドを立てた。
ヘルメットを抱えて二人の側に寄ると、途端にがキッと視線を向けて来た。
「ダンテさん!携帯忘れてったでしょう!」
ダンテはぎくりと肩を揺らした。
「悪い!忘れてったことすら気付かなかったんだ」
の携帯も繋がらなくなっちゃうし、本当に心配したよ」
今度はが肩を竦める。
「ごめん……」
「……まあ、こうしてちゃんと帰って来られたんだからもう良しとしよう!」
しょぼくれた二人の肩をそれぞれ一つずつ叩き、は玄関の扉を開けた。
「ほんとに良かったよ。バージルも早く帰って来てくれるといいんだけど」
の言葉に、ダンテが目を丸くした。そういえば、まだガレージのシャッターは開かれ、中は空っぽのままだ。
「へぇ。あいつ、まだ探してくれてんのか」
「とっても申し訳ない……」
見直したとしきりに頷くダンテと、縮こまるばかりの
「当たり前でしょ、私の大事な友達だもん。……だけどね、ダンテさん。やっぱりバージルってダンテさんと双子だと思った」
「ん?どういう意味で?」
「だってね」
携帯を取り出し、バージルに電話を掛ける。もちろん電話はのすぐ側で……
Prr, prr, prr...
「はっ!?」
「えっ!?」
「ね。双子でしょ」
切れないコール音。──ついに堪えられなくなって、三人は爆笑した。



それからどれだけ時間が流れたことだろう。
が二人にお代わりのレモンティーを出したその時、ヘッドライトの丸い明かりと共に、車が家のアプローチに滑り込んで来た。バンと忙しなくドアの閉まる音が続く。
「ダンテは戻って来たのか」
羽織って行ったジャケットを片手に、幾分か疲弊した顔のバージルが入って来た。
もね」
に促され、がとぼとぼとバージルに顔を見せた。
「お手数をお掛けしました……」
は複数回に渡って深々と頭を垂れる。
「平気へいき。バージルはには甘いから」
ね?とに見つめられ、バージルは大きく息をついた。
「無事に到着して良かった。ゆっくりしていってくれ。……ダンテが見つけたのか?」
「はい……」
「そうか」
僅かに微笑んでから、いきなりバージルはとダンテを振り返った。
「見つかったのなら、何故連絡しない?」
二人は互いに視線を交わし、溜め息をついた。
「だって」
「なあ」
が気まずそうにバージルに近づく。
「これ……」
青い携帯を手渡す。ちかちかと着信ありを告げる端末。
「……!」
途端に、バージルの白い頬に朱が差した。
「ダンテさんも忘れてったんだよ。双子だよねー」
今となってはもう笑い話で済む。
「あん時はもう気が気じゃなかったんだよ……」
「焦っていたからな……」
珍しく双子が同調した。
首をぼりぼり掻いて誤魔化すダンテと、腰に手を当ててあらぬ方向を見上げるバージル。
そんな二人に心配を掛けた身のくせに悪いとは思いつつも、はくすりと笑ってしまった。
だいぶ元気が戻ったらしい彼女の表情に、ダンテとは裏でこっそり拳骨タッチした。