いつも同じ時刻
いつも同じ座席
いつも同じ姿勢
まるで映画から切り取ったワンシーンのような

私は彼に恋をした。




little riddle




本が好きだから、という単純な理由で司書になった。
配属されたのは、片田舎の古めかしい図書館。
歴史の重みを感じさせる建物で、規模はかなり大きい。
貴重な古書と蔵書数は都会の図書館にもひけをとらないのが、館長の自慢。
CDにDVDなどといった新しいメディアは取り扱っていないため、ここを訪れるのはお年を召した方が多い。
建物の周囲は街路樹に囲まれ、天気のいい日には芸術家の卵たちがカンバスを広げている様子を見ることができる。
刺激的なものは何もないけれど、私はそんな環境が気に入っている。
このまま、不変の日々が続いていくのだと思っていた。



司書の仕事は、結構煩雑。
新刊に丁寧にカバーを掛け、傷んだ本には補修を施す。
もちろん利用者に本の場所を教えたり、貸し借りの手続きを行ったりもするけれど、私はどちらかと言えば人間よりも本の相手をしている方が向いていた。
今日も変わらず、返却されてきた本を棚に戻すという同僚があまりやりたがらない作業を買って出ていた。
重いワゴンを静かに押し、一冊ずつ棚に返していく。
ふと、奥の資料室、一般人は立ち入り禁止の書庫に人影が動いたことに気付いた。
今日は特に誰かが許可を得て利用するといった伝達は受けていない。
となると。
「すみません。申し訳ないのですが、ここは一般の方には利用して頂けない書物庫です」
気乗りしないながらも、私は奥に声を掛ける。
やがて、書架の間から人が現れた。
すらりと長身の若い男性。
身長差ばかりでなく、私は何やらずしりと威圧感を覚えた。
じりっと一歩下がる。
「あの、どうしても、というのであれば、手続きの上、館長の許可を取って……」
ついつい、逃げ腰になってしまう。
「その手続きとやらは、何処で?」
彼が面倒そうに口を開いた。
「こちらでお願いします」
カウンターへ導く。
指定の書類とボールペンを揃えて差し出すと、彼はさらさら几帳面に欄を埋めていった。
なんとなく、記入された名前が目に入った。

──Vergil。

確か……同じ名前の芸術家がいた。
どんな絵画を残した人物だったろうか、もしかして詩歌の方だったろうかなどなど考えているうち、目の前の彼が書類を書き終えた。
「確認させて頂きます」
不備がないかチェックし、私は顔を上げる。
「館長に許可を取って参りますので、もう少々お待ち下さい」
「ああ」
彼は軽く頷くと、カウンターの後ろの新刊を集めた書架を眺め始めた。



「資料室を使いたい人なんて、久しぶりだね」
館長が、ずり落ちた眼鏡を鼻に押し上げながら笑った。
「ええ、ほんとに。最初は幽霊が資料室にいるのかと思いました」
「ははは。うちなら本の虫の幽霊がいてもおかしくないもんなあ」
「じゃあ、お借りします」
普段は錠を下ろしている棚を開けるための鍵を受け取る。
「そうだ、君」
部屋を出る寸前、呼び止められた。
「はい?」
「分かっていると思うが、貴重な書物が多いから、一応その人の動向には気をつけておくれな」
「はい」
私はこくりと頷いた。
でも。
「丁寧に扱ってくれそうな人でしたよ」
落ち着いた佇まいや、書類の整然と並んだ文字。
書架を改める物静かな横顔。
それらが一つ一つ、思い出される。
館長がふむ、と頷いた。
「それならいいけど」
「注意はしておきますね。それじゃ失礼します」



カウンターに戻ると、彼は席について分厚い本を広げていた。
ゆったり組んだ脚に、拳の頬杖……元の容姿がいいために、ありきたりなポーズが様になる。
ぼーっと見ていたら、彼の方が私に気付いた。
「……許可は下りたか?」
咎めるような青の瞳にぎくりとしてしまう。
まるで私の方が悪いことをしたような。
「はい。一応、案内致します」
先に立つと、彼は読みかけの本を手にしたまま音もなく立ち上がり、後をついてきた。
資料室のドアに『閲覧中』の札を下げる。
中に入ると、鍵が掛けられた書棚を開けていく。
そうしている間にも、彼は既に何か探している様子。
「これで全部の資料をご覧頂けます」
彼が『まだいたのか』というように振り返った。
「ああ」
神経質そうな彼には言いにくいことこの上ないが、私は館長に念を押されたことを思い出す。
「資料室内にあるのは全て貸し出し禁止の貴重な本です。大切にお取り扱い下さい」
案の定、彼がむっと顔を強張らせた。
「分かっている」
こういう役目は嫌だけど仕方ない。
一礼して、部屋を出る。
……と、もう一つ言わなければいけないことがあった。
「あのぅ……」
恐る恐る切り出してみる。
「まだ何か?」
作業を中断され、彼がじろりと眼差しを上げた。
いくら煩く思われようと、こっちは仕事なんだから、そんな睨まなくてもいいのに。
「飲食は禁止されてますので、ロビーでお願いします」
びくびく小声で伝える。
ああ、今度はどれだけ不機嫌な顔をされるのか。
怖いもの見たさでちらりと彼を窺えば。
「分かっている」
呆れたような、微苦笑。
さっきと同じ台詞なのに、言葉は少しだけ感じ良くやわらかく響いた。





彼……『バージル氏』は、次の日も、そのまた次の日もやってきた。
三日目になると私も慣れたもので、何も言われずとも書類を用意して差し出した。
探し物はなかなか見つからないらしく、一日目からして、彼は朝の開館から夜の閉館まで資料室にこもりきりだった。
最初は館長に言われた通りに本の扱いの方に注意を払っていたけれど、そちらは何の問題もない。
私の関心は、すぐに彼本人に向いた。
食事はどうしているのかとか、よくあれだけ集中力が続くものだとか……。
そもそも、何をそんなに真剣に調べているのだろう。
初めて図書館に来たのだという子供に絵本のコーナーを教えてあげながら、彼ももっと司書を利用してくれてもいいのにと思った。
仕事の手が空けば、これが何回目か数えるのも億劫な程、ごく自然に彼の姿を目で追ってしまう。
図書館の中でも資料室は特にしずかで、まるでサイレントムービーのセットのよう。
西陽を背に何冊も本を広げている彼の姿は、そのまま一幅の絵画みたいだった。
瞼を閉じて顔を振り、彼は本を閉じる。
探し物はまだ見つからないようだ。



午後の過ごしやすい時間、ついつい目がとろんとなってしまっていたとき。

頭の上から声が降ってきた。
聞き慣れないそれに、ん?と上を見上げたら、彼だった。
「……?名前……」
何故、彼が私の名前を知っているのか首を傾げる。
バージル氏は自分の左胸を指差した。
「名札に書いてある」
「……あ」
そう言われてみればそうだった。
にしても、いきなり呼び捨てにするとは。
あっさりと呼び捨てる彼の様が堂に入っているというか、違和感がないのも凄いが。
「ご用件は何ですか?」
資料室の本が貸し出し禁止なのは彼も知っているはず。
バージル氏は一冊の本を私に示した。
「これ以外の資料を探しているのだが」
私はその古めかしい書物を受け取る。
「『フォルトゥナ史実』……」
フォルトゥナはここからはごく近い城塞都市ではあるが、観光面や産業に自然環境などなど、どれをとってもこれといって特色があるわけでもない、むしろ地味なくらいの土地だ。
彼は何に興味を持ったのだろう?
ともかく私はこくりと頷く。
「探して、資料室に持って行きますね」
「有り難い」
彼は少しだけ表情を緩めたように見えた……あるいはただの光の加減かもしれないが。
ともかくこうして、ごく普通に会話は終わったのだった。



私はすぐに彼に言われた本を探した。
パソコンで検索をかけ、引っ掛かったタイトルを棚から探す。
ところが書名は残っているものの、実際にはお化けだった本ばかり。
収穫もなく資料室に向かいかけ……ふと、とあるコーナーで足が止まった。
郷土写真集。
文章量など資料としては物足りないかもしれないが、手ぶらよりはまし。
つらつらと背を眺め、フォルトゥナが含まれていそうな写真集を抜き出していく。
三冊ほど見つかった。
ちゃんとフォルトゥナ関連の図録があるのを確かめ、私は資料室に歩いた。



こんこんとノックして室内に入る。
立ち上がった彼に、三冊まとめて手渡す。
「これくらいしか見つからなかったんですが」
「成程、写真資料か。そこまで気が付かなかったな」
早速ぱらぱらとページを捲る。
……彼は、私が本を探している間も、調べものを続けていたようだ。
「いつ休まれてるんですか」
積もり積もった疑問が、思わず口をついてしまった。
予想外だったのだろう、彼はぴくりと目を上げた。
「……適度に、な」
数瞬だけ、視線が交わる。
涼しげな青の瞳。
こんなにしげしげと彼を見たのは初めてだ。
鋭くつめたそうな目だけれど、今は穏やかな色を湛えている。
「……あの」
彼を見ていたら、吸い込まれるように自然に次の質問が出てきた。
ずっと気にしていたこと。
「何を調べているんですか?」

途端。
水の瞳が凍った。
「お前には関係ない」
斬るような声。

どくん、と胸に響いた。
──怖い。
穏やかだと、今なら何でも聞いてしまえそうだと……勘違いした自分が馬鹿だった。
彼が最初に現れた日から、利用客と司書という関係は全く動いていないのに。
「あ……」
喉に絡む声を必死に押し出す。
「ごめんなさい。失礼します」
そのまま逃げ出すように、資料室を後にした。

その日はもう、彼の姿を目で追うことはなかった。
出来なかった。



next